98年5月12日(火) 母の日に想う
今年は、5月10日が母の日。
その何週間か前より、示し合わせたように
「お母さんありがとう」の文字があふれ出す。

まあ大概の人は、こうした刺激物で、
「ああ、そうか、母の日か・・・日ごろたいした親孝行してないから
なんかしてやらなきゃなあ・・・」
等と思うきっかけになるので、別にとりたててそれらのものが
どうこうという意識はないだろう。

母の日があれば、その前には、「子供の日」があって、
6月には父の日もやってくる。
そのたびにそちこちで、「ありがとう、おめでとうグッズ」を並べ立て、
必死で客の目を向けさせる営業努力が為されるわけだ。
それはまあ企業戦略の仕方ない現象として・・・

そんな記念日に、いつも想うことは、
「お母さんのいない人は、今年はどんな気分で迎えてるのだろう?」
「お父さんのいない人は・・・?」
そして、まあ子供のいない人というより、
「子供を亡くした人は・・・?」

年々エスカレートぎみな、PR合戦の文字やディスプレイを
目にしたくなくとも、おのずと視界にいれざるを得ないのが日常。
それが派手であればあるほど、
親御さんやお子さんをなくされた方とか、
何らかの理由で、会いたくとも会えない方など
本当につらいものがあるだろうと思ってしまうのだ。

私が、かつて幼稚園の教員をしていたころ、
クラスの中に、父子家庭や母子家庭のお子さんがいた。
私としても、普段から言葉づかいなどにもかなり神経を使っていた。
(たとえば「今日幼稚園で楽しかったこと、お母さんやお父さんに話してね。
とはいわず、「おうちの人に・・・」というようにしていたし、
取りたてて「お母さんの絵を描きましょう」等ということはやらず、
好きな人の絵を描いてね」と枠を広げたり・・・)

しかし、年中行事として、母の日参観日や父の日参観日が
必ずあるため、そんな日は、彼らにとって
否が応でも現実を突きつけられる日になる。
まだ小さき人生経験しかない彼らにとって、とても
厳しい試練の日だろうと思う。
でも社会の中で生きていく以上、そうした現実は、避けて通れないのだし
それを乗り越えてこそ、強くたくましく、やさしい人に
成長してゆけるとも思っている。

ただ、少なくとも周囲の私たちは、慮る心を忘れてはいけないと思う。
到底彼らの母や父に成り代わることはできないし、
その胸のうちも、全部受け止めることもできないが、
いつも、「もしも自分がその人の立場なら・・・」というふうに
考えて言動することが大事だと思う。
いたって当たり前のことではあるけど・・・
時にはうまく心が伝わらず、
「いらぬおせっかい」になってしまうこともあるかもしれない。
けれど、「我関せず」「見ざる聞かざる言わざる」でいるよりは、
はるかにましだと思うのだ。